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キューバ危機 [2020/06/09 21:33] moepapa |
キューバ危機 [2024/06/01 19:37] (現在) moepapa |
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- | その長さや流域面積の大きさなどで、日本を代表する河川のことで、信濃川、利根川、石狩川の三つです。 | + | |
+ | 歴史上で最大の核戦争の危機だったキューバ危機に関してご説明。 | ||
+ | ホラーでもなんでもないのに、実際に歴史のできごとの中では、もっとも世界滅亡の可能性が高かった事件として有名です。 | ||
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- | ===== 信濃川 ===== | ||
- | 信濃川(しなのがわ)は、新潟県および長野県を流れる一級河川で信濃川水系の本流である。新潟市で日本海に注ぐ。このうち信濃川と呼ばれているのは新潟県域で、長野県にさかのぼると千曲川(ちくまがわ)と呼称が変わる。この項目では千曲川と呼称される上流部を合わせ記述する。全長367 kmのうち、信濃川と呼ばれている部分が153 kmで、千曲川と呼ばれている部分は214 kmと、60 kmほど千曲川の方が長い。ただし、河川法上は千曲川を含めた信濃川水系の本流を信濃川と規定しているため、信濃川は日本で一番長い川となっている。日本三大河川のうちの1つである。 | ||
- | 流域面積11, | + | ===== 概要 ===== |
- | {{: | + | キューバ危機(1962年10月)は、冷戦期における最も緊張が高まった事件の一つであり、米ソ間の核戦争の危機を招いた重要な出来事です。 |
+ | 1945年の第二次世界大戦終結後、アメリカ合衆国とソビエト連邦は、異なる政治体制とイデオロギーの対立から冷戦状態に突入しました。これにより、両国は世界各地で影響力を争い、軍拡競争を繰り広げました。 | ||
- | 古くは「大きな川」として「大川」(おおかわ)と呼ばれていたが、のちに下流部では信濃国から流れてくる川として、信濃川と呼ばれるようになった。 | + | 1959年、フィデル・カストロ率いる革命勢力がキューバで政権を掌握しました。カストロは親ソ的な政策を取り、キューバとソビエト連邦の関係は急速に強化されました。これに対してアメリカは警戒感を強めました。 |
- | 長野県内の名称である千曲川の名前の由来については諸説がある。 | + | 1962年10月、アメリカの偵察機がキューバにソビエト連邦製の中距離弾道ミサイル基地を発見しました。このミサイルはアメリカ本土を射程に収めており、直ちに重大な脅威と認識されました |
- | 字の通り、川が千の数ほど曲がっている様子から名付けられた。 | + | ジョン・F・ケネディ大統領は、国家安全保障会議を招集し、ソビエトのミサイル配備に対する対応を協議しました。その結果、キューバへの海上封鎖を行い、さらなるミサイルの搬入を阻止することを決定しました。 |
- | 旧豊田村から下流の千曲川は狭窄部が連続し、両岸は崖状の地形を呈していることから、「チク(崖)・マ(袋状の湿地)の川」という説がある。 | + | |
- | 水源地域である長野県川上村の伝説によれば、大昔に高天原に住む神々の間で大きな戦いがあり、この時に流された血潮によってできた川とされており、その血潮があたり一面隈なく流れた様子から「血隈川」と言うようになったという伝説もある。 | + | |
- | なお、千曲川の支流である犀川は長野県西部の筑摩(ちくま)地方を流れているが、筑摩は古くは「つかま」と呼ばれたため、直接の関係はないと見られる。 | + | |
- | 千曲川は万葉の頃から多くの詩歌に歌われ、近代になっても流域の佐久市・小諸市周辺を島崎藤村(千曲川旅情のうた、小諸なる古城のほとり)が、長野市周辺から新潟県境付近の豊田村(現中野市)周辺を高野辰之(朧月夜、故郷)が歌にしている。 | + | 1962年10月22日、ケネディ大統領はテレビ演説でキューバ危機を公表し、キューバへの海上封鎖を発表しました。この封鎖により、ソビエトの船舶がキューバに向かうのを阻止しようとしました。両国の軍事的緊張はピークに達し、核戦争の危機が現実味を帯びました 。 |
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+ | 10月26日、ソビエト連邦のニキータ・フルシチョフ首相はケネディ大統領に書簡を送り、ミサイルを撤去する条件としてアメリカがキューバへの侵攻を行わないことを提案しました。翌日、さらに米国がトルコに配置したミサイルの撤去も求める書簡が送られました。 | ||
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+ | 10月28日、ケネディ大統領はフルシチョフの提案を受け入れ、キューバへの侵攻を行わないことを約束しました。非公式の合意として、アメリカはトルコのミサイルも撤去することにしました。この合意により、ソビエトはキューバからミサイルを撤去し、危機は終息しました 。 | ||
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+ | キューバ危機は、米ソ両国が直接対決した最も危険な瞬間でしたが、最終的に外交的な解決が図られました。この経験は、両国が核戦争のリスクを認識し、緊張緩和(デタント)への道筋をつける契機となりました。 | ||
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+ | ==== ホットラインの設置 ==== | ||
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+ | 危機後、米ソ間で緊急時の直接通信を可能にする「ホットライン」が設置され、今後の誤解や誤算を防ぐための措置が講じられました。 | ||
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+ | キューバ危機を契機に、部分的核実験禁止条約(1963年)などの核軍縮条約が進展し、冷戦時代の軍拡競争に一定の歯止めがかかるきっかけとなりました。 | ||
+ | キューバ危機は、核戦争の危機を経て冷戦の枠組みを変える重要な出来事であり、その後の国際政治に大きな影響を与えました。 | ||
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+ | ===== 詳細 ===== | ||
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+ | キューバ危機(キューバきき、英: | ||
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+ | 1962年夏、ソ連とキューバは極秘裏に軍事協定を結び、キューバに密かに核ミサイルや兵員、発射台、ロケット、戦車などを送った。アメリカは偵察飛行で核ミサイル基地の建設を発見、直ちにキューバを海上封鎖し、核ミサイル基地の撤去を迫った。一触即発の危険な状態に陥ったが、当時のケネディ大統領とフルシチョフ第一書記とで書簡でやり取りし、最終的にソ連が核ミサイルを撤去してこの危機は終わった。また、これを期に米ソ間でホットラインの開設がなされ、不測の事態による軍事衝突を防ぐための対策が取られた。 | ||
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+ | 危機の期間について定義があるわけではないが、アメリカ軍が空中偵察でミサイル基地を発見した1962年10月14日から、或いは大統領にその情報が入った10月16日からフルシチョフがミサイル撤去を伝えた10月28日までとすることが多い。しかしソ連が核ミサイルをキューバから撤去し、アメリカが封鎖解除したのは11月21日である。 | ||
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+ | 「キューバ・ミサイル危機」とも呼ばれ、またこの1年半前の1961年4月の「ピッグズ湾事件」を「第一次キューバ危機」と呼び、この1962年10月の危機を「第二次キューバ危機」と呼ぶ場合がある。 | ||
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- | 千曲川は埼玉県・山梨県・長野県の県境に位置する甲武信ヶ岳の長野県側斜面(南佐久郡川上村)を源流とし、八ヶ岳、関東山地などを源流とする諸河川と合流しつつ佐久盆地(佐久平)、上田盆地(上田平)を北流する。長野盆地(善光寺平)の川中島の北端に該当する場所で、飛騨山脈を源流とし松本盆地(松本平)から北流してきた犀川と合流する。なお合流地点には落合橋(おちあいばし)が架橋されている。この橋はT字型の特殊な形態の橋である。川はその後北東に流れ、新潟県に入って信濃川と名前を変える。信濃川は、十日町盆地を通って越後平野(新潟平野)に出て群馬・新潟県境の谷川岳から流れてきた魚野川と合流、新潟市で日本海に注ぐ。河口は阿賀野川の河口に近く、時代によっては新潟の地で合流して河口を共有していたこともあった。 | + | ===== キューバ革命 ===== |
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+ | 1959年1月にキューバ革命で親米軍事独裁のフルヘンシオ・バティスタ大統領を打倒し、首相の座に就いたフィデル・カストロは、革命の1ヶ月後にバティスタ派の人々に対する簡易裁判を行い、即時に600人を処刑したことから、彼がアメリカに対してどのような外交姿勢を取るのか懸念されていた。このような懸念に反してカストロは「アメリカ合衆国に対して変わらず友好関係を保つ」と表明し、早くも4月にワシントンD.C.を訪問し、アメリカ政府に対して友好的な態度を見せるとともに、革命政権の承認を求めた。 | ||
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+ | しかし、カストロからの公式会談申し入れを受け入れたドワイト・D・アイゼンハワー大統領は、CIAより、権力掌握後のカストロが国内でバティスタ派の有力者を処刑したり、親米的な地主からの農地の強制接収による農地改革を推し進めていることを根拠として「カストロは共産主義者である」との報告を受けており、結果「かねてから予定されていたゴルフに行く」との理由で公式会談を欠席した。 | ||
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+ | さらにアイゼンハワーに代わって会談したリチャード・ニクソン副大統領との会談において、カストロは「アメリカとの友好関係を保つ」と言いながらも、彼から「革命後の共産主義の影響拡大」、「反革命派の処刑」、「自由選挙の未実施」といった点を問い詰められて怒りだす寸前になる始末であった。このようなカストロの態度を受けたニクソンは、アイゼンハワーに「カストロは打倒すべき人物で、キューバ人亡命者部隊を編成してキューバに侵攻すべきである」と進言した。 | ||
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- | ---- | + | キューバへのミサイル配備をフルシチョフが検討を始めたのは1962年4月の終わり頃で、ミコヤン第一副首相との会話の中でミサイル配備が話題となり、その後マリノフスキー国防相とも協議を始めている。ミコヤンは当初懐疑的であった。後にフルシチョフが書いた回顧録によると彼がキューバにミサイルを配備した動機は何よりもキューバの防衛であった。しかしただ防衛だけであったなら、わざわざ隠密に極秘に核ミサイルを運ばなくても堂々とキューバと協定を結んで通常兵器を供与する方がケネディも反対できなかったし、仮にそれが小規模のものであってもアメリカが攻めて来る場合はソ連兵と直接戦闘となるリスクが生じ、歴史上初めてアメリカとソ連が直接武力で戦う覚悟を必要とし、それ故にアメリカのキューバ侵攻の抑止になると考える方が自然である。そう考えなかったフルシチョフにはミサイル配備のバランスでアメリカと均衡させるためにあえて核ミサイルの配備にこだわったと言える。 |
- | ===== 利根川 ===== | + | |
- | 利根川(とねがわ)は、大水上山を水源として関東地方を北から東へ流れ、太平洋に注ぐ一級河川。一級水系であり、利根川水系の本流である。河川の規模は日本最大級であり、日本三大河川の一つ。日本の首都圏の水源として国内の経済活動上重要な役割を果たしている。「坂東太郎(ばんどうたろう。“東国にある日本一の大河”)」の異名を持つ日本三大暴れ川の一つで、江戸時代初期に行われた河川改修である利根川東遷事業により流れを変えられた歴史を持つ。 | + | |
- | {{: | + | アナディル作戦の背景には、当時核ミサイルの攻撃能力で大幅な劣勢に立たされていたソ連がその不均衡を挽回する狙いがあった。アメリカは本土にソ連を攻撃可能な大陸間弾道ミサイルを配備し、加えて西ヨーロッパ、そしてトルコにも最近中距離核ミサイルを配備していた。これに対し、ソ連の大陸間弾道ミサイルはまだ開発段階で、潜水艦と爆撃機による攻撃以外にアメリカ本土を直接攻撃する手段を持たなかったといわれる。 |
- | 群馬県利根郡みなかみ町にある三国山脈の一つ、大水上山(標高1, | + | ソ連がアナディル作戦でキューバへの軍事力の展開をするには事前の発覚を避け、それでいて高性能の戦闘機、地対空ミサイル、それを管理する部隊や大量の装備品、そして約5万人の派兵が必要でそれらの人員や装備品を輸送する船舶がおよそ85隻が必要であり、しかもその船舶は何回も往復しなければならなかった。 |
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+ | ===== 軍事協力協定 ===== | ||
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+ | キューバとソ連はかつてない大胆で広範な軍事協力であったため、7月にラウル・カストロがモスクワを訪問して両国間の権利・義務・責任を確認して「キューバ駐留ソビエト軍に関する協定」を結んだ。この後8月にチェ・ゲバラらが訪ソして再調整し改めて2国間の「軍事協力協定」が結ばれた。その時に公表を求めるキューバに対してフルシチョフは公表する必要はないとして退けている。 | ||
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+ | フルシチョフは、1962年11月にニューヨークを訪れて国連総会に出席する予定であり、そこでキューバのミサイル基地建設の成功を劇的に公表するつもりであった。そうすれば西側にベルリンからの撤兵を要求するための前奏曲にできると考えていた。遡ること9月にケネディ政権はソ連に対してICBMの数で2対1の割合でアメリカが勝っていることを明らかにしていた。ここでキューバに中距離弾道ミサイル(MRBM)を配備すれば、アメリカ国内の標的を攻撃することができ、米ソ間の核バランスをソ連優位に修正することが出来ると考えていた。 | ||
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+ | ===== 偵察飛行 ===== | ||
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+ | 1962年7月から8月にかけて、ソ連やその同盟国の貨物船が集中的にキューバの港に出入りするようになったため、これを不審に思ったアメリカ軍は、キューバ近海の公海上を行き来するソ連やその同盟国の船舶やキューバ国内に対する偵察飛行を強化していた。CIAはソ連船の数が急増していることの意味を検討していた。また亡命キューバ人やキューバと交易のある同盟国(デンマークやトルコ、スペインなど)の情報機関からも情報が入ってきた。8月にCIAは4000~6000人のソ連人がキューバへ入国していると結論づけた。ソ連が戦略ミサイルを配備しようとしているかも知れないがソ連はそれほど愚かだと考える者は事実上皆無であった。 | ||
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+ | そして8月23日にケネディはマコーンCIA長官にキューバに核ミサイルが存在することは容認しないと述べていたが、この時にソ連が核ミサイルの配備を試みていると考えた者はマコーン以外はいなかった。そしてCIA内部でもソ連は核を運んでいると分析することはなく、9月19日にCIAが政府に提出した報告「特別国家情報評価」の中の「キューバの軍事力増強」でも同じ見方であった。それはソ連の過去の行動パターンにも予測する政策にも合致しないことであった。そして9月にキューバ上空に偵察機を飛ばすことを制限した。 | ||
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- | 利根川の流域面積は約1万6840km2であり、比較すると広さは四国地方の面積の80%に相当する。この流域面積内を流れ最終的に利根川へと合流、あるいは分流する河川は全て利根川水系に属する。水系内を流れ最終的に利根川に合流する支流の数は815河川に上り、淀川水系の964河川、信濃川水系の880河川に次ぐ日本第3位の支流数である。流域自治体は首都である東京都を始め茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県および長野県の一都六県211市区町村にまたがり、流域内には日本の人口の10%に相当する約1200万人が生活している。 | + | ===== 核ミサイル基地の発見 ===== |
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+ | 1962年10月9日、米軍の上空偵察委員会はU-2偵察機によるハバナ南方のサンクリストバル一帯の偵察飛行を提言した。キューバからの人的情報で特に怪しいと見た地域である。ケネディはすぐに許可したがこの任務は悪天候のため何日か延期となり、ようやく10月13日午後11時半にカリフォルニア州エドワーズ空軍基地から飛び立った。そして翌10月14日の朝までにはキューバに達し、キューバ上空で偵察飛行を行い、フロリダに帰着した。 | ||
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+ | このアメリカ空軍のロッキードU-2偵察機が撮影した写真を、翌15日月曜日の午前にワシントンの国家写真解析センター(NPIC)でフィルムの解析が行われ、オレグ・ペンコフスキー大佐がもたらした技術仕様書や、メーデーの際にクレムリン広場をミサイル搭載車がパレードした際の写真と見比べて解析したアメリカ空軍とCIAの解析班は、アメリカ本土を射程内とするソ連製準中距離弾道ミサイル(MRBM)の存在を発見、さらにその後3つの中距離弾道ミサイル(IRBM)を発見した。 | ||
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- | ---- | + | ==== 10月16日(火) |
- | ===== 石狩川 | + | |
- | 石狩川(いしかりがわ)は、北海道中西部を流れ日本海へ注ぐ石狩川水系本流の一級河川である。流域面積は 14,330km2 で利根川に次いで全国2位、長さ268km は信濃川、利根川に次いで3位で、日本三大河川のうちの1つに数えられている。北海道遺産に選定されている。 | + | |
- | {{: | + | これらの写真は10月16日朝にCIA高官のリチャード・ヘルムズによってホワイトハウスに届けられた[注 15]。ケネディ大統領は16日午前9時にマクジョージ・バンディ国家安全保障担当補佐官から報告を受けて11時45分から緊急に国家安全保障会議を招集する決定を下した。しかもこの会議にはいつものメンバーに加えて、それ以外の顔ぶれを集めたので後に国家安全保障会議執行委員会(エクスコム)と呼ばれることとなった。 |
- | 北海道上川郡上川町の河東郡上士幌町との境界にある大雪山系石狩岳の西斜面に源を発し、ここから上川盆地、石狩平野を経て石狩市で石狩湾へと注ぐ。この間に上川地方(塩狩峠以南)・空知地方・石狩地方の22の市町村を通過する。空知川や千歳川などの支流を含む流域内市町村数は48、流域内市町村人口は約308万8千人である(平成12年国勢調査)。 | + | エクスコムに参加するケネディ大統領(窓際真ん中)やロバート・ケネディ(写真の一番左で、椅子を机から離している)、マクナマラ(大統領の右)など(1962年10月29日) |
+ | このエクスコムの会議には14〜15人が集まり、主な顔ぶれはジョンソン副大統領、ラスク国務長官、ボール国務次官、マクナマラ国防長官、ギルパトリック国防次官、マコーンCIA長官、ロバート・ケネディ司法長官、ディロン財務長官、スティーヴンソン国連大使、テイラー統合参謀本部議長、マクジョージ・バンディ補佐官、オドンネル大統領特別補佐官、ソレンセン大統領顧問、アチソン元国務長官、ラヴェット元国防長官などであった[18]。この席でケネディは直面する危険とこれに対処するあらゆる行動を即時徹底的に調査するように命じた。そして徹底した機密保持も命じた。この10月16日から13日間が歴史に深く刻まれ核戦争の寸前までいったキューバ危機の期間である。 | ||
- | 本来のアイヌ語の意味が不明になって由来が特定できていないものの、「イシカリ」(塞がる)、「イシカラペツ」(美しく・作る・川)、「イシカラアペツ」(回流川・非常に曲がりくねった川)のいずれかと考えられる。また、俗説か否か、フリカムイとラートシカムイとの戦いの際にフリが尾羽(イシ)を振った(カリ)ための名とも。 | + | 大統領顧問であったソレンセンが1965年に書いた著書「ケネディの道」の中で、この16〜19日までの96時間が午前・午後・夜間を問わず会議の連続であったという。その間に新しい空中写真の分析が進み、近距離用攻撃用ミサイルが配置された地点が6カ所に上り、中距離用ミサイル(IRBM)用の基地にするために掘られた個所が3カ所見つかった。 |
- | 石狩川水系は上川(塩狩峠以南)・空知・石狩の3地域(石狩国と胆振国千歳郡に相当)に跨って流れる。主要支川で最大なのは空知川で流路延長194.5km、流域面積2, | + | ==== 10月17日(水) |
- | 流域には支笏湖やオコタンペ湖などの天然湖を有する他、中流部には蛇行の痕跡である三日月湖が散在する。また、旧美唄川や旧夕張川のように旧流路がそのまま残っている河川もある。札幌市・旭川市・千歳市・岩見沢市など北海道枢要部の都市が流域に点在し、それら都市の活動を支えている。 | + | 17日の会議でアドレー・スティーブンソン国連大使は「平和的解決手段がすべて無駄に終わるまで空爆などはしてはなりません」と大統領に強く主張した。ここで空爆の前に事前警告の必要が議論の焦点となった。統合参謀本部のメンバーはキューバへの空爆を支持していたが、マクナマラやロバート・ケネディは海上封鎖を主張した。ジョン・マコーンCIA長官は事前通告無しの空爆には反対であった。彼はフルシチョフに24時間の猶予を与えるべきでこの手順を踏んでしかし最後通牒に応じない場合に攻撃を行うと主張した。ディーン・アチソン元国務長官はより強気で発見されたミサイルを早急に破壊するための外科手術的空爆に賛成した。ここでアインゼンハワーに電話でケネディは意見を聞いているが、前大統領はキューバにある軍事目標全体への空爆を支持した。一方スティーブンソン国連大使は、トルコにあるジュピター・ミサイルとキューバにある核ミサイルとを取り引きすることを検討するよう求めた。 |
- | < | + | この日までにケネディ大統領はジャクリーン夫人に事態が容易ならざる方向に進んでいることを伝えていた。 |
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- | </ | + | ホワイトハウス警護官で大統領夫人担当のクリント・ヒルは緊急事態に備えて大統領夫妻と打ち合わせする必要を感じていた。そしてこの10月17日にジャクリーン夫人と不測の事態が起こった場合の対応について率直に話し合うことにした。それまでにシークレットサービスは大統領の家族および政府の要人を避難させる計画を既に持っていた。そして事態が発生した直後は取り敢えずホワイトハウスの地下の核シェルターに入ることとなっていた。 |
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+ | このことをジャクリーン夫人に伝えようとした時に、逆に大統領夫人は『核シェルターに入らなければならない時、私がどうするか、知らせておくわ』として『もし事態が変化したら、私はキャロラインとジョンJRの手をつなぎ、ホワイトハウスの南庭に行きます。そして勇敢な兵士のようにそこに立ち、全てのアメリカ人と同じく運命に立ち向かいます。』と語った。クリント・ヒルは『そうならないように神に祈りましょう。』と答えるだけであった。 | ||
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+ | ==== 10月18日(木) | ||
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+ | この日にソ連問題担当顧問で、後に駐ソ大使となったリュウェリン・トンプソンが出席して、フルシチョフは何らかの取引を目的にミサイルを配備し、それはベルリン問題で何らかのアメリカの譲歩を引き出すためではないか、と考えてフルシチョフに交渉の機会を与えることが大事だと主張した。いきなり軍事行動では報復を呼ぶだけであり、その後は予測も制御もできないとして、海上封鎖であればソ連は封鎖を突破しないと考えるがミサイル基地の作業の中止および撤去は難しいとの懸念を示した。 | ||
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+ | 前日空爆反対を唱えたスティーブンソン国連大使はこの日ニューヨークに戻る前に大統領に文書を送り、キューバへの攻撃はソ連がトルコやベルリンに報復行動に出る可能性が高く、結果として核戦争になると強調した。 | ||
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+ | この段階で封鎖と空爆の2つの選択肢が残っていたが、実際は二者択一ではなく、海上封鎖から空爆へという考えと、どちらにせよ最後はキューバ侵攻へという考えで、このエクスコム会議に出席していたメンバーの大半は最後は侵攻する必要があることを理解していた。 | ||
- | 石狩川の河川施設は「北海道総合開発計画」に基づき北海道開発庁の現地執行機関である北海道開発局によって事業が計画・施工されているが、大別すると灌漑事業と治水事業に分かれる。 | + | そして海上封鎖の場合に、フルシチョフが撤去に応じる代わりに要求してくる要素をさまざまに検討して、トルコのミサイルが浮上してきた。また海上封鎖が厳密には戦争行為であるので、戦争に突入することなく海上封鎖を法的に正当化するためにどうするか、この問題ではラスク国務長官とマーチン国務次官補が1947年に締結したリオ条約(米州相互援助条約)に基づき米州機構(OAS)の承認を得ることを提案し、また18日夜にミーカー国務省法律副顧問が「海上封鎖」を「隔離」と言い換える提案が出された。 |
- | 灌漑については北海道開拓使以来の事業である農地開拓に基づくものである。戦後農林省(現農林水産省)は1947年(昭和22年)より全国各地で「国営かんがい排水事業」や「国営土地改良事業」を施行。石狩川水系でも開発局農業水産部によって夕張や篠津等多くの地域で実施されている。このために農林水産省管轄の灌漑用ダムが大小様々建設されている。 | + | ここまで強硬に空爆を主張してきた軍も最初は封鎖して、フルシチョフの出方によっては空爆か軍事侵攻も視野に入れることでその主張を後退させた。そして封鎖の場合に撤去させるのは攻撃用ミサイルだけとすることで、この日にはケネディは海上封鎖の選択に傾いた。 |
- | 一方治水事業は建設省が「河川総合開発計画」を基に全国の一級水系において多目的ダムによる河川開発を進めていたが、開発局建設部により石狩川水系の治水と札幌市・小樽市・千歳市・旭川市等の北海道主要都市に上水道を供給するため、石狩川本川をはじめ主要な支川に特定多目的ダムを建設し対処している。ただしこれらの多目的ダムは『特定多目的ダム法』に基づく建設大臣の直轄管理施設となっており、北海道開発庁は管理をしていない。この他北海道建設部も補助多目的ダムを各所に建設している。 | + | こうしたホワイトハウス内の極秘の動きの中で、この日午後5時にソ連外相アンドレイ・グロムイコがホワイトハウスを訪ねてきた。これはそれ以前から予定していたもので国連総会のために訪米し儀礼的な訪問であった。ケネディはこの場では攻撃用核ミサイルを発見したことを一切語らずに、またグロムイコ外相はソ連の対キューバ援助は「キューバの国防能力に寄与する目的を追及したもの」として「防衛兵器の扱いについてソ連専門家がキューバ人を訓練しているのは決して攻撃的ではない」ことで「もしそうでなかったらソ連政府は決してこうした援助を与えないであろう」と述べて、「キューバに配備されたミサイルは防御用の通常兵器である」と9月に述べたことを繰り返し述べた。このホワイトハウスの大統領執務室での会談は、その後冷戦史上に残る最も奇妙で緊張した会談であり、茶番劇でもあった。グロムイコ外相は会談後にモスクワにワシントンの状況は満足のいくものであった、と報告している。ケネディが何かをつかんでいるとは微塵も感じなかったのである。そしてケネディは4日後の声明で、この日のグロムイコ外相とのやりとりを明らかにして、「偽りであった」と非難した。 |
- | 水力発電は王子製紙株式会社による千歳川水系の開発、北海道電力株式会社による石狩川層雲峡付近と雨竜川の電源開発を除けば小規模に留まり、揚水発電のような大規模電源開発は行われていない。これは電力需要が首都圏や京阪神に比べて多くないことに起因する。 | + | グロムイコ外相との会談終了後、ケネディは同じホワイトハウスの会議室に戻った。そしてこの日の夜に急速に海上封鎖が有力な案になった。また国務・国防・司法の各省はその法律専門家に封鎖宣言の根拠について検討作業を始めさせた。 |