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キューバ危機 [2020/11/16 01:58] moepapa |
キューバ危機 [2024/06/01 19:37] (現在) moepapa |
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+ | ===== 概要 ===== | ||
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+ | キューバ危機(1962年10月)は、冷戦期における最も緊張が高まった事件の一つであり、米ソ間の核戦争の危機を招いた重要な出来事です。 | ||
+ | 1945年の第二次世界大戦終結後、アメリカ合衆国とソビエト連邦は、異なる政治体制とイデオロギーの対立から冷戦状態に突入しました。これにより、両国は世界各地で影響力を争い、軍拡競争を繰り広げました。 | ||
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+ | 1959年、フィデル・カストロ率いる革命勢力がキューバで政権を掌握しました。カストロは親ソ的な政策を取り、キューバとソビエト連邦の関係は急速に強化されました。これに対してアメリカは警戒感を強めました。 | ||
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+ | 1962年10月、アメリカの偵察機がキューバにソビエト連邦製の中距離弾道ミサイル基地を発見しました。このミサイルはアメリカ本土を射程に収めており、直ちに重大な脅威と認識されました 。 | ||
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+ | ジョン・F・ケネディ大統領は、国家安全保障会議を招集し、ソビエトのミサイル配備に対する対応を協議しました。その結果、キューバへの海上封鎖を行い、さらなるミサイルの搬入を阻止することを決定しました。 | ||
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+ | 1962年10月22日、ケネディ大統領はテレビ演説でキューバ危機を公表し、キューバへの海上封鎖を発表しました。この封鎖により、ソビエトの船舶がキューバに向かうのを阻止しようとしました。両国の軍事的緊張はピークに達し、核戦争の危機が現実味を帯びました 。 | ||
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+ | 10月26日、ソビエト連邦のニキータ・フルシチョフ首相はケネディ大統領に書簡を送り、ミサイルを撤去する条件としてアメリカがキューバへの侵攻を行わないことを提案しました。翌日、さらに米国がトルコに配置したミサイルの撤去も求める書簡が送られました。 | ||
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+ | 10月28日、ケネディ大統領はフルシチョフの提案を受け入れ、キューバへの侵攻を行わないことを約束しました。非公式の合意として、アメリカはトルコのミサイルも撤去することにしました。この合意により、ソビエトはキューバからミサイルを撤去し、危機は終息しました 。 | ||
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+ | キューバ危機は、米ソ両国が直接対決した最も危険な瞬間でしたが、最終的に外交的な解決が図られました。この経験は、両国が核戦争のリスクを認識し、緊張緩和(デタント)への道筋をつける契機となりました。 | ||
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+ | ==== ホットラインの設置 ==== | ||
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+ | 危機後、米ソ間で緊急時の直接通信を可能にする「ホットライン」が設置され、今後の誤解や誤算を防ぐための措置が講じられました。 | ||
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+ | キューバ危機を契機に、部分的核実験禁止条約(1963年)などの核軍縮条約が進展し、冷戦時代の軍拡競争に一定の歯止めがかかるきっかけとなりました。 | ||
+ | キューバ危機は、核戦争の危機を経て冷戦の枠組みを変える重要な出来事であり、その後の国際政治に大きな影響を与えました。 | ||
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+ | ===== 詳細 ===== | ||
キューバ危機(キューバきき、英: | キューバ危機(キューバきき、英: |