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三毛別羆事件


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三毛別羆事件 [2024/11/05 20:21]
moepapa
三毛別羆事件 [2025/01/06 17:22] (現在)
moepapa
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 です。 です。
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 北海道を舞台に起き、今なお道内で熊の恐ろしさを語る際には引き合いに出されるほど有名な事件です。 北海道を舞台に起き、今なお道内で熊の恐ろしさを語る際には引き合いに出されるほど有名な事件です。
  
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 +<color #c3c3c3>このような事件の数々があったからこそ、道民は熊をおそれ、熊の駆除、調整等、自然、猛獣との適正な距離を取りうまく付き合ってきたというのに、近頃のアホな熊かわいそう主張派はまったく・・・</color>
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 ===== 概要 ===== ===== 概要 =====
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 区長の大川与三吉の息子・大川春義(おおかわ はるよし、当時7歳)は、その後名うてのヒグマ撃ちとなった。これは、犠牲者ひとりにつき10頭のヒグマを仕留めるという誓いによるもので、62年をかけ102頭を数えたところで引退し、亡くなった村人を鎮魂する「熊害慰霊碑」を三渓(旧三毛別)の三渓神社に建立した。また春義の息子・高義も同じく猟師となり、1980年には、父・春義も追跡していた体重500kgという大ヒグマ「北海太郎」を8年がかりの追跡の末に仕留めている。さらにその5年後には、他のハンターと2人で、体重350kgの熊「渓谷の次郎」も仕留めている。 区長の大川与三吉の息子・大川春義(おおかわ はるよし、当時7歳)は、その後名うてのヒグマ撃ちとなった。これは、犠牲者ひとりにつき10頭のヒグマを仕留めるという誓いによるもので、62年をかけ102頭を数えたところで引退し、亡くなった村人を鎮魂する「熊害慰霊碑」を三渓(旧三毛別)の三渓神社に建立した。また春義の息子・高義も同じく猟師となり、1980年には、父・春義も追跡していた体重500kgという大ヒグマ「北海太郎」を8年がかりの追跡の末に仕留めている。さらにその5年後には、他のハンターと2人で、体重350kgの熊「渓谷の次郎」も仕留めている。
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 +こんな事件があったら、もう、日本中の猟師、警察、陸軍と、ありとあらゆる武器を動員して熊は日本全土から絶滅させればいいと思うのですが、なんでやらないんでしょうねえ。
 +少なくとも、殺人犯に高確率でなる危険人物が常時刃物持ってうろついているような状態でしょうに。


三毛別羆事件.txt · 最終更新: 2025/01/06 17:22 by moepapa