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三毛別羆事件 [2021/11/28 04:51] moepapa |
三毛別羆事件 [2026/05/27 07:36] (現在) moepapa |
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| ====== 三毛別羆事件 ====== | ====== 三毛別羆事件 ====== | ||
| - | 大正時代に起きた日本市場最悪の熊害事件で、これを超える動物による被害の出た事件はいまだに起きていません。 | + | 大正時代に起きた日本史上最悪の熊害事件で、一頭の動物による被害者数でこれを超える動物による被害の出た事件はいまだに起きていないという、恐ろしい事件 |
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| + | **三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)** | ||
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| + | です。 | ||
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| + | 北海道を舞台に起き、今なお道内で熊の恐ろしさを語る際には引き合いに出されるほど有名な事件です。 | ||
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| + | ===== 概要 ===== | ||
| 三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)とは、1915年(大正4年)12月9日から12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)六線沢で発生した、クマの獣害としては日本史上最悪の被害を出した事件。三毛別事件や六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)、苫前羆事件(とままえひぐまじけん)、苫前三毛別事件(とままえさんけべつじけん)とも呼ばれる。 | 三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)とは、1915年(大正4年)12月9日から12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)六線沢で発生した、クマの獣害としては日本史上最悪の被害を出した事件。三毛別事件や六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)、苫前羆事件(とままえひぐまじけん)、苫前三毛別事件(とままえさんけべつじけん)とも呼ばれる。 | ||
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| ===== 池田家の騒動 ===== | ===== 池田家の騒動 ===== | ||
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| 1915年(大正4年)11月初旬のある夜明け前、六線沢の池田家に巨大なヒグマが姿を現した。飼い馬が驚いて暴れたため、そのときの被害は保存食のとうもろこしに留まった。村は開拓の端緒にかかったばかりの土地でもあり、このような野生動物の襲来は珍しいものではなかったが、主人である池田富蔵(いけだ とみぞう)はぬかるみに残った足跡の大きさ(約30cm)に懸念を持った。 | 1915年(大正4年)11月初旬のある夜明け前、六線沢の池田家に巨大なヒグマが姿を現した。飼い馬が驚いて暴れたため、そのときの被害は保存食のとうもろこしに留まった。村は開拓の端緒にかかったばかりの土地でもあり、このような野生動物の襲来は珍しいものではなかったが、主人である池田富蔵(いけだ とみぞう)はぬかるみに残った足跡の大きさ(約30cm)に懸念を持った。 | ||
| 行 22: | 行 35: | ||
| 30日、三度現れたヒグマに撃ちかけたが、仕留めるには至らなかった。その夜、長男・富吉 (とみきち)や妻に留守を頼み、次男・亀次郎(かめじろう・当時18歳)を加えた4人で鬼鹿山方向へ続く足跡を追い血痕を確認したものの、地吹雪がひどくなりそれ以上の追撃を断念した。マタギたちは、件のヒグマは「穴持たず」という、何らかの理由により冬眠し損ねたクマであると語った。さらに足跡の巨大さから「このクマはあまりの巨体のため、自分の身に合う越冬穴を見つけられなかったのではないか」と推測し、「穴持たず」となったクマは非常に凶暴であることを付け加えた。 | 30日、三度現れたヒグマに撃ちかけたが、仕留めるには至らなかった。その夜、長男・富吉 (とみきち)や妻に留守を頼み、次男・亀次郎(かめじろう・当時18歳)を加えた4人で鬼鹿山方向へ続く足跡を追い血痕を確認したものの、地吹雪がひどくなりそれ以上の追撃を断念した。マタギたちは、件のヒグマは「穴持たず」という、何らかの理由により冬眠し損ねたクマであると語った。さらに足跡の巨大さから「このクマはあまりの巨体のため、自分の身に合う越冬穴を見つけられなかったのではないか」と推測し、「穴持たず」となったクマは非常に凶暴であることを付け加えた。 | ||
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| ===== 太田家の惨劇 ===== | ===== 太田家の惨劇 ===== | ||
| 行 36: | 行 50: | ||
| 事件の一報に村は大騒動となった。しかし、12月の北海道は陽が傾くのも早く、幹雄の遺体を居間に安置したころには午後3時を過ぎ、この日に打てる手は少なかった。男達は太田家から500m程下流の明景安太郎(みようけ やすたろう、当時40歳)の家に集まり、善後策を話し合った。ヒグマ討伐やマユの遺体奪回は翌日にせざるを得ないが、取り急ぎ苫前村役場と古丹別巡査駐在所、そして幹雄の実家である力昼村(現・苫前町力昼)の蓮見家への連絡を取らなければならない。しかし、通信手段は誰かが直に出向くより他になかった。太田家の近くに住む男性が使者役に選ばれたが、本人が嫌がったため、代わりに斉藤石五郎(さいとう いしごろう、当時42歳)が引き受けることになった。太田家よりもさらに上流に家を構える石五郎は、所用にて当主・安太郎が鬼鹿村(現・小平町鬼鹿)へ外出しなければならない明景家に妊娠中の妻・タケ(当時34歳)、三男・巌(いわお、当時6歳)、四男・春義(はるよし、当時3歳)の家族3人を避難させ、要吉も男手として同泊する手はずが取られた。 | 事件の一報に村は大騒動となった。しかし、12月の北海道は陽が傾くのも早く、幹雄の遺体を居間に安置したころには午後3時を過ぎ、この日に打てる手は少なかった。男達は太田家から500m程下流の明景安太郎(みようけ やすたろう、当時40歳)の家に集まり、善後策を話し合った。ヒグマ討伐やマユの遺体奪回は翌日にせざるを得ないが、取り急ぎ苫前村役場と古丹別巡査駐在所、そして幹雄の実家である力昼村(現・苫前町力昼)の蓮見家への連絡を取らなければならない。しかし、通信手段は誰かが直に出向くより他になかった。太田家の近くに住む男性が使者役に選ばれたが、本人が嫌がったため、代わりに斉藤石五郎(さいとう いしごろう、当時42歳)が引き受けることになった。太田家よりもさらに上流に家を構える石五郎は、所用にて当主・安太郎が鬼鹿村(現・小平町鬼鹿)へ外出しなければならない明景家に妊娠中の妻・タケ(当時34歳)、三男・巌(いわお、当時6歳)、四男・春義(はるよし、当時3歳)の家族3人を避難させ、要吉も男手として同泊する手はずが取られた。 | ||
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| ===== 捜索 ===== | ===== 捜索 ===== | ||
| 行 78: | 行 78: | ||
| 六線沢の全15戸の住民は、三毛別にある三毛別分教場(その後、三渓小学校になるが廃校)へ避難することになり、重傷者達も3km川下の辻家に収容されて応急の手当てを受けた。巌は母・タケの惨死を知るすべもないまま、「おっかぁ!クマとってけれ!」とうわ言をもらし、水をしきりに求めつつ20分後に息絶えた。この2日間で6人、胎児を含めると7人の命が奪われ、3人が重傷を負った。重傷者たちは翌日さらに3km下流の家に移り、古丹別の沢谷医院に入院したのは12日のことだった。 | 六線沢の全15戸の住民は、三毛別にある三毛別分教場(その後、三渓小学校になるが廃校)へ避難することになり、重傷者達も3km川下の辻家に収容されて応急の手当てを受けた。巌は母・タケの惨死を知るすべもないまま、「おっかぁ!クマとってけれ!」とうわ言をもらし、水をしきりに求めつつ20分後に息絶えた。この2日間で6人、胎児を含めると7人の命が奪われ、3人が重傷を負った。重傷者たちは翌日さらに3km下流の家に移り、古丹別の沢谷医院に入院したのは12日のことだった。 | ||
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| すべての住民が三毛別分教場に避難した六線沢に人影はなく、おびえながら固く戸締りをした三毛別の各農家がヒグマ避けに焚く炎が、昨夜から不気味に寒村を照らしていた。小村の住民だけではもはやなす術はなく、三毛別地区区長の大川与三吉(おおかわ よさきち,当時47歳)と、村の長老や有志、駐在所巡査、御料局分担区員、分教場教師らが話し合い、ヒグマ退治の応援を警察や行政に頼ることを決議した。その一方、家族に降りかかった悲劇を知らず雪道を往く斉藤石五郎は、役場と警察に太田家の事件報告を終えて10日は苫前に宿を取り、11日昼近くに帰路についた。下流の三毛別にたどり着き、妻子の受難を知らされ、呆然と雪上に倒れ伏しただ慟哭をあげるしかなかった。 | すべての住民が三毛別分教場に避難した六線沢に人影はなく、おびえながら固く戸締りをした三毛別の各農家がヒグマ避けに焚く炎が、昨夜から不気味に寒村を照らしていた。小村の住民だけではもはやなす術はなく、三毛別地区区長の大川与三吉(おおかわ よさきち,当時47歳)と、村の長老や有志、駐在所巡査、御料局分担区員、分教場教師らが話し合い、ヒグマ退治の応援を警察や行政に頼ることを決議した。その一方、家族に降りかかった悲劇を知らず雪道を往く斉藤石五郎は、役場と警察に太田家の事件報告を終えて10日は苫前に宿を取り、11日昼近くに帰路についた。下流の三毛別にたどり着き、妻子の受難を知らされ、呆然と雪上に倒れ伏しただ慟哭をあげるしかなかった。 | ||
| 行 124: | 行 110: | ||
| ヒグマの死骸は人々が引きずって農道まで下ろされ、馬ぞりに積まれた。しかし馬が暴れて言うことを聞かず、仕方なく大人数でそりを引き始めた。すると、にわかに空が曇り雪が降り始めた。事件発生からこの三日間は晴天が続いていたのだが、雪は激しい吹雪に変わりそりを引く一行を激しく打った。言い伝えによればクマを殺すと空が荒れるという。この天候急変を、村人たちは「熊風」と呼んで語り継いだ。 | ヒグマの死骸は人々が引きずって農道まで下ろされ、馬ぞりに積まれた。しかし馬が暴れて言うことを聞かず、仕方なく大人数でそりを引き始めた。すると、にわかに空が曇り雪が降り始めた。事件発生からこの三日間は晴天が続いていたのだが、雪は激しい吹雪に変わりそりを引く一行を激しく打った。言い伝えによればクマを殺すと空が荒れるという。この天候急変を、村人たちは「熊風」と呼んで語り継いだ。 | ||
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| ===== 解剖 ===== | ===== 解剖 ===== | ||
| 行 152: | 行 124: | ||
| 区長の大川与三吉の息子・大川春義(おおかわ はるよし、当時7歳)は、その後名うてのヒグマ撃ちとなった。これは、犠牲者ひとりにつき10頭のヒグマを仕留めるという誓いによるもので、62年をかけ102頭を数えたところで引退し、亡くなった村人を鎮魂する「熊害慰霊碑」を三渓(旧三毛別)の三渓神社に建立した。また春義の息子・高義も同じく猟師となり、1980年には、父・春義も追跡していた体重500kgという大ヒグマ「北海太郎」を8年がかりの追跡の末に仕留めている。さらにその5年後には、他のハンターと2人で、体重350kgの熊「渓谷の次郎」も仕留めている。 | 区長の大川与三吉の息子・大川春義(おおかわ はるよし、当時7歳)は、その後名うてのヒグマ撃ちとなった。これは、犠牲者ひとりにつき10頭のヒグマを仕留めるという誓いによるもので、62年をかけ102頭を数えたところで引退し、亡くなった村人を鎮魂する「熊害慰霊碑」を三渓(旧三毛別)の三渓神社に建立した。また春義の息子・高義も同じく猟師となり、1980年には、父・春義も追跡していた体重500kgという大ヒグマ「北海太郎」を8年がかりの追跡の末に仕留めている。さらにその5年後には、他のハンターと2人で、体重350kgの熊「渓谷の次郎」も仕留めている。 | ||
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| + | こんな事件があったら、もう、日本中の猟師、警察、陸軍と、ありとあらゆる武器を動員して熊は日本全土から絶滅させればいいと思うのですが、なんでやらないんでしょうねえ。 | ||
| + | 少なくとも、殺人犯に高確率でなる危険人物が常時刃物持ってうろついているような状態でしょうに。 | ||
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| + | ===== 映画化 ===== | ||
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| + | その後、この事件を元にした映画、『リメインズ 美しき勇者たち』も制作された。 | ||
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| + | 1990年の日本映画。監督:千葉真一、製作:松竹・サニ千葉エンタープライズ・JTB・京都映画、主演:真田広之。ジャパンアクションクラブ (JAC) 創立20周年記念作品。カラー・ワイド、107分。 | ||
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