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吾妻連峰雪山遭難事故 [2022/02/08 07:48] moepapa |
吾妻連峰雪山遭難事故 [2022/02/08 08:09] (現在) moepapa |
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====== 吾妻連峰雪山遭難事故 ====== | ====== 吾妻連峰雪山遭難事故 ====== | ||
- | まあ詳細を知ると、ただの愚か者達による自殺志願旅にしか聞こえないんですが、 | + | まあ詳細を知ると、ただの自殺にしか聞こえないんですが、 |
一応遭難事故と分類されるそうですね。 | 一応遭難事故と分類されるそうですね。 | ||
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夜に氏名が分からなかったCの家族が警察(警視庁蒲田署)に捜索願を出し、6人と同じ登山計画(吾妻高湯スキー場→家形山避難小屋→滑川温泉)を記したメモを見つけ、それを警察へ提供したことでようやく7人全員の身元が判明した。 | 夜に氏名が分からなかったCの家族が警察(警視庁蒲田署)に捜索願を出し、6人と同じ登山計画(吾妻高湯スキー場→家形山避難小屋→滑川温泉)を記したメモを見つけ、それを警察へ提供したことでようやく7人全員の身元が判明した。 | ||
+ | ===== 2月15日(火) ===== | ||
+ | 前日とは一転して吾妻連峰は晴れ間が広がっていたが、強風が続いていた。吾妻山荘には警察(福島・山形両県警)および自衛隊の捜索隊の他、地元の山岳会などで編成された民間の捜索隊が集まり、吾妻ロッジと福島警察署庭塚駐在所に現地指揮本部を立ち上げ、朝8時30分から捜索を開始。 | ||
+ | 13時過ぎ、下山を続けていた2人はひどい凍傷になりながらも自力で滑川温泉にたどり着いたが、男性Aは右手の指一本を切断する重傷、女性Bは手足の痺れなど後遺症が残った。彼らの証言による捜索の結果、メンバーのビバーク地点を自衛隊ヘリが特定し、上空より雪洞・リュック・スキーを発見。15時過ぎに福島・山形両県境の白浜で女性Cを含むメンバー5人全員が遺体で発見・収容された。 | ||
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+ | ===== 事故の原因・背景 ===== | ||
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+ | この遭難事故は「気象遭難」に分類されるもので、天候判断のミスおよび撤退判断の遅れ・欠如などにより厳しい気象条件下に晒される状態に陥り、低体温症を引き起こしたことが主な原因である。さらに霧の平での「道迷い遭難」の要素もあった。その他の背景として、以下の点が挙げられる。 | ||
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+ | ===== 不運や判断ミスによるタイムロスの発生 ===== | ||
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+ | 詳細は2月11日の箇所に譲るが、新幹線での福島駅への到着の段階で計画より30分遅れたのをきっかけに予定が狂い始め、登山口および宿泊予定場所への到着までに行われた判断によって予定より大幅に遅れる原因となった。また、判断ミスが重なった点もあるが、徒歩での移動距離が当初より大幅に長くなり、それらの行動により「体力消耗による予想以上の疲労」を招いた。 | ||
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+ | ===== 準備不足 ===== | ||
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+ | メンバー7人全員が「出発前日までそれぞれの本業に追われ冬山登山の事前準備期間を十分確保できなかったこと」が悲劇の引き金となった。それでも、リーダーは今回の吾妻連峰登山計画を半年ほど前から立てていたが、逆に言えば、それに依存する形となり、その結果、冬山登山に必携のラジオやツェルトの有無の確認やその必要性を認識しないなど、メンバー間での情報の共有も行われなかった。これにより、「余裕の無い計画かつ冬山対応装備が一部欠品した状態」で本番に臨む形となった。 | ||
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+ | その一例がラジオの携帯である。設備の違いはあれど慶応吾妻山荘では天気予報などの情報を受信しており、7人はラジオが無かったため、そうした情報を得る手段を有さない状況に陥ってしまった。また、リーダーは以前から山行時における天候にはほぼいつも無頓着だったという。 | ||
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+ | 上記の理由に加え事前の登山計画書提出がなく、更に現地・吾妻高湯スキー場の登山者カード提出場所でもあった4本目リフト搭乗口を経由をしなかった上、独身者もいたが、身内などに対し詳しい登山経路を告げていなかった。 | ||
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+ | 新幹線に乗った時点で仮眠をとるメンバーがいたという話もあり、その場合、出発の時点で仕事の疲労が蓄積していた可能性があったにもかかわらず、登頂を決行してしまった。この時期は年度末を控えており、メンバーの中には看護師、 区役所職員、専門学校講師などがいたが、多忙の中で登山に参加した。 | ||
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+ | ===== 山中での判断ミス ===== | ||
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+ | 登山口を過ぎた時点か、遅くとも慶応山荘手前の時点で既に疲労のため遅れるメンバーが出たにもかかわらず、7人は管理人が常駐している「慶応吾妻山荘」へ泊まる決断やそこでの一時休憩をせず、そのまま予定通り、本来は宿泊場所とはなっていない家形山避難小屋へ泊まった。このためメンバーは準備不足の影響もあり、天気予報などの情報を得られる最後の機会を逃してしまった。そのうえ、休息より宴会などを行い、十分に睡眠や暖も取らぬままに12日を迎えることになった。 | ||
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+ | 11日時点での計画の遅延の発生や12日には猛吹雪のためビバークを実施する状況となったうえ、状況悪化を防ぐために天候が回復するまでビバークを継続する案があったにもかかわらず、14日月曜日のそれぞれの出勤を優先。そのため、13日日曜日のうちに東京へ戻るか、少なくとも会社や自宅への連絡を重視した結果、13日の「猛吹雪の中での下山強行」を招いてしまった。 | ||
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+ | 12日の霧の平への道を見つけられなかった時点か、この間に起きたスキー板の滑り止めシールが剥がれるトラブルなどをきっかけに、撤退する決断(この場合なら家形山避難小屋に引き返すなど)をせず、分岐点の捜索を続行したことも判断ミスの一つだった。冬山では早朝出発し、正午から下山をするか撤退するのが常識だが、この日の夜にビバークを決断するまで彷徨を続けたため体力消耗を招いた。 | ||
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+ | また気温の低下も含めた低体温症に関する知識がなかった。実際、7人は白浜で低体温症に陥ったメンバーを雪洞に入れただけで、体を温めるなどの処置を取らなかった。そのうえ、動けなくなったメンバー1人を助けるため全員が強風や雪崩の危険区域に留まった結果、他のメンバーが次々と低体温症を発症させてしまった。さらに、7人は朝食以外食事をとることができなかった。 | ||
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+ | 1997年にリーダーの友人が有志を募って『1994年2月吾妻連峰山スキー遭難事故報告書』を自費出版で発表しており、遭難の原因として「装備の不備と共に、雪の滑川温泉という魅力的な目的地に捉われた結果、別のルートをとるという選択ができなくなってしまった」という点を指摘している。 | ||
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+ | ラジオの不携帯など準備不足な上に疲れて開始、帰りも日程通りじゃなくちゃ仕事まずいとかタイトなスケジュール。 | ||
+ | なのに有人の山小屋に寄らなかったり、当日宴会とか、 | ||
+ | もうありとあらゆる点で登山の反面教師です。 | ||
+ | 仕事が忙しくて病んでて集団自殺をしに行ったとしか思えない事故ですね。 | ||
+ | 強いて言えば、危険な山は立ち入り禁止に、無謀な登山客は排除して欲しいという一般人の当たり前の意見が増えたことが唯一得た教訓代わりでしょうかね。 |