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札幌丘珠事件 [2024/11/05 23:48] moepapa |
札幌丘珠事件 [2025/01/06 20:07] (現在) moepapa |
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獣害史上4番目に大きな被害を出したとされる熊害事件です。 | 獣害史上4番目に大きな被害を出したとされる熊害事件です。 | ||
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+ | 逆にまだ江戸時代が近かったので、武士でもいれば熊と渡り合えたのでは??とか勝手に思ってしまいますが、やはり野生の獣相手ではプロではないからどうしようもないんでしょうかねえ。 | ||
+ | ※北海道の農村に侍がいたかは別として | ||
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札幌丘珠事件(さっぽろおかだまじけん)とは、1878年(明治11年)1月11日から1月18日にかけて北海道石狩国札幌郡札幌村大字丘珠村(現: | 札幌丘珠事件(さっぽろおかだまじけん)とは、1878年(明治11年)1月11日から1月18日にかけて北海道石狩国札幌郡札幌村大字丘珠村(現: | ||
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===== 事件の経緯 ===== | ===== 事件の経緯 ===== | ||
札幌市は2021年のピーク時に人口約198万人に達した東北以北最大の都市だが、事件当時は和人の定住者が現れてから20年あまり、市街地の整備や農地の開墾は急ピッチで進められていたものの、市域を少し出れば原始そのままの大森林や草原に覆われていた。人口は、現在の札幌市中心部にあたる「札幌区」で3, | 札幌市は2021年のピーク時に人口約198万人に達した東北以北最大の都市だが、事件当時は和人の定住者が現れてから20年あまり、市街地の整備や農地の開墾は急ピッチで進められていたものの、市域を少し出れば原始そのままの大森林や草原に覆われていた。人口は、現在の札幌市中心部にあたる「札幌区」で3, | ||
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==== 第一の事件 ==== | ==== 第一の事件 ==== | ||
1878年(明治11年)1月11日、爾志(にし)通(現在の札幌市中央区南2条)在住の猟師・蛭子勝太郎が郊外の円山山中で、冬眠中のヒグマを発見した。早速狩ろうと試みたものの撃ち損ねてしまい、逆襲を受けた勝太郎は死亡した。冬眠を妨げられたヒグマは、飢えて札幌の市街地を駆け抜けたため、17日、札幌警察署警察吏の森長保が指揮を執る駆除隊が急遽編成された。 | 1878年(明治11年)1月11日、爾志(にし)通(現在の札幌市中央区南2条)在住の猟師・蛭子勝太郎が郊外の円山山中で、冬眠中のヒグマを発見した。早速狩ろうと試みたものの撃ち損ねてしまい、逆襲を受けた勝太郎は死亡した。冬眠を妨げられたヒグマは、飢えて札幌の市街地を駆け抜けたため、17日、札幌警察署警察吏の森長保が指揮を執る駆除隊が急遽編成された。 | ||
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同日、豊平川の川向こうに当たる平岸村(現在の札幌市豊平区平岸)で件のヒグマを発見し、追撃を開始する。しかしヒグマは月寒村(現在の豊平区月寒)、白石村(現在の札幌市白石区)と逃走。再度豊平川に向かうルートを取ったため、駆除隊も雪上に残る足跡を頼りに後を追う。そして再度豊平川を渡り、雁来(現在の札幌市東区東雁来)までは確認したが、猛吹雪のため見失ってしまった。これらの地は現在でこそ一面の住宅街だが、当時は畑が拓かれ始めたばかりの大森林地帯だった。 | 同日、豊平川の川向こうに当たる平岸村(現在の札幌市豊平区平岸)で件のヒグマを発見し、追撃を開始する。しかしヒグマは月寒村(現在の豊平区月寒)、白石村(現在の札幌市白石区)と逃走。再度豊平川に向かうルートを取ったため、駆除隊も雪上に残る足跡を頼りに後を追う。そして再度豊平川を渡り、雁来(現在の札幌市東区東雁来)までは確認したが、猛吹雪のため見失ってしまった。これらの地は現在でこそ一面の住宅街だが、当時は畑が拓かれ始めたばかりの大森林地帯だった。 | ||
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==== 第二の事件 ==== | ==== 第二の事件 ==== | ||
行 28: | 行 39: | ||
18日昼、件のヒグマは駆除隊によって付近で発見され、射殺された。駆除に功のあった佐々木直則、渋谷永貞、武田守約の3人には、日当50銭のほか特別手当として2円が支給された。 | 18日昼、件のヒグマは駆除隊によって付近で発見され、射殺された。駆除に功のあった佐々木直則、渋谷永貞、武田守約の3人には、日当50銭のほか特別手当として2円が支給された。 | ||
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==== 被害者の性別と内訳 ==== | ==== 被害者の性別と内訳 ==== | ||
行 54: | 行 67: | ||
加害ヒグマはオスの成獣で、体長は1.9mもあった。警察署の前でしばらく晒し者にしたのち札幌農学校に運び込まれ、教授の指導のもと学生たちの手で解剖された。昭和8年(1933年)発行の『恵迪寮史』の記述によれば、その熊は全く脂肪がなかったという。おそらく冬眠に備えての食いだめができず、雪中では餌を求めることも叶わず、進退窮まった末に暴挙に及んだことは疑いない、と推察されている。 | 加害ヒグマはオスの成獣で、体長は1.9mもあった。警察署の前でしばらく晒し者にしたのち札幌農学校に運び込まれ、教授の指導のもと学生たちの手で解剖された。昭和8年(1933年)発行の『恵迪寮史』の記述によれば、その熊は全く脂肪がなかったという。おそらく冬眠に備えての食いだめができず、雪中では餌を求めることも叶わず、進退窮まった末に暴挙に及んだことは疑いない、と推察されている。 | ||
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===== その後 ===== | ===== その後 ===== |