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津山事件


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津山事件 [2021/11/28 05:00]
moepapa
津山事件 [2021/11/28 05:03] (現在)
moepapa
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 横溝正史の小説『八つ墓村』、および西村望の小説『丑三つの村』のモチーフになった事件である。 横溝正史の小説『八つ墓村』、および西村望の小説『丑三つの村』のモチーフになった事件である。
  
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 ===== 事件発生以前 ===== ===== 事件発生以前 =====
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 1937年(昭和12年)、都井は徴兵検査を受け、結核を理由に丙種合格(入営不適、民兵としてのみ徴用可能。実質上の不合格)とされた。そのころから都井は、それまで関係を持った女性たちに、都井の丙種合格や結核を理由として関係を拒絶されるようになる。そして、心ない風評に都井は不満を募らせていった。 1937年(昭和12年)、都井は徴兵検査を受け、結核を理由に丙種合格(入営不適、民兵としてのみ徴用可能。実質上の不合格)とされた。そのころから都井は、それまで関係を持った女性たちに、都井の丙種合格や結核を理由として関係を拒絶されるようになる。そして、心ない風評に都井は不満を募らせていった。
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-===== 凶器の入手 ===== 
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-同年、狩猟免許を取得して津山で2連発散弾銃を購入した。翌1938年(昭和13年)にはそれを神戸で下取りに出し、猛獣用の12番口径5連発のブローニング製散弾銃であるブローニング・オート5を購入した。毎日山にこもって射撃練習に励むようになり、毎夜猟銃を手に村を徘徊して近隣の人間に不安を与えるに至った。都井はこのころから犯行準備のため、自宅や土地を担保に借金をしていた。 
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-しかし、都井が祖母の病気治療目的で味噌汁に薬を入れているところを祖母本人に目撃され、そのことで「孫に毒殺される」と大騒ぎして警察に訴えられたために家宅捜索を受けた。猟銃一式のほか、日本刀・短刀・匕首などを押収され、猟銃所持許可も取り消された(この薬に関し、祖母から話を聞いた近所の寺井元一が後日都井に問いただしている。都井は、「自分が常用しているわかもとを祖母にも飲ませようとした」と寺井元一に語っているが、みそ汁に混入した薬が本当にわかもとだったのかは不明)。 
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-都井はこの一件により凶器類をすべて失ったが、知人を通じた猟銃や弾薬の購入、刀剣愛好家からの日本刀譲り受けなどによって再び凶器類を揃えた。 
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-以前懇意にしていたもののその後都井の元から去り、他の村へ嫁いでいた女性が村に里帰りしてきた1938年(昭和13年)5月21日の未明、犯行は行われた。 
  
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 +===== 凶器の入手 =====
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 +同年、狩猟免許を取得して津山で2連発散弾銃を購入した。翌1938年(昭和13年)にはそれを神戸で下取りに出し、猛獣用の12番口径5連発のブローニング製散弾銃であるブローニング・オート5を購入した。毎日山にこもって射撃練習に励むようになり、毎夜猟銃を手に村を徘徊して近隣の人間に不安を与えるに至った。都井はこのころから犯行準備のため、自宅や土地を担保に借金をしていた。
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 +しかし、都井が祖母の病気治療目的で味噌汁に薬を入れているところを祖母本人に目撃され、そのことで「孫に毒殺される」と大騒ぎして警察に訴えられたために家宅捜索を受けた。猟銃一式のほか、日本刀・短刀・匕首などを押収され、猟銃所持許可も取り消された(この薬に関し、祖母から話を聞いた近所の寺井元一が後日都井に問いただしている。都井は、「自分が常用しているわかもとを祖母にも飲ませようとした」と寺井元一に語っているが、みそ汁に混入した薬が本当にわかもとだったのかは不明)。
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 +都井はこの一件により凶器類をすべて失ったが、知人を通じた猟銃や弾薬の購入、刀剣愛好家からの日本刀譲り受けなどによって再び凶器類を揃えた。
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 +以前懇意にしていたもののその後都井の元から去り、他の村へ嫁いでいた女性が村に里帰りしてきた1938年(昭和13年)5月21日の未明、犯行は行われた。
  
 ===== 犯行当日 ===== ===== 犯行当日 =====
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 ・10軒目はJ宅に侵入。Jの妻は雨戸を開けて外を覗いている時に射殺された。 ・10軒目はJ宅に侵入。Jの妻は雨戸を開けて外を覗いている時に射殺された。
 ・11軒目はK宅に侵入。Kと妻を射殺。 ・11軒目はK宅に侵入。Kと妻を射殺。
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 ===== 自殺と遺書 ===== ===== 自殺と遺書 =====
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 +===== 事件後 =====
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 +事件はラジオや新聞などのマスコミにより報道され、『少年倶楽部』もこの事件を特集した。
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 +この事件が貝尾集落に与えた影響は大きく、前述のように、一家全滅したところもあれば一家の大部分を失ったところもあり、集落の大部分が農業で生計を立てていたためかなり生活が苦しくなったとされている。また、都井の親族で襲撃を受けることのなかった一家が、企みを前々から知っていて隠していたのではないかと疑われ、村八分に近い扱いを受けたともいわれている。
 +
 +事件後、犯人の都井が警察による取り調べを受ける前に自殺し、さらに多くの被害者が亡くなったため、生存者による証言しか残っていない。しかし、生存者のほとんどが亡くなった被害者の誰かしらと親戚関係にあるため、その証言はすべての罪を都井にかぶせるようなものが多くなっているという意見もある。さらに、都井が死亡した以上、たとえ都井と関係があったと噂される女性でも本人が否定してしまえば確認する方法はなく、事実関係が不明な部分も多く残った。1975年(昭和50年)に刊行された『加茂町史』では、本事件について「都井睦雄事件も発生した」と記されるのみである。
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 +===== 事件発生現場・関係先の現在 =====
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 +事件現場である貝尾集落は、周辺集落のなかでも一番山際にあたる部分にある。2015年春、倉見に廃屋となって残っていた都井の生家が取り壊された。
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 +貝尾地区の人口は事件当時23世帯111人であったが、2010年の平成22年国勢調査によると13世帯37人となっており、うち単身の世帯が4あるなど限界集落化が進んでいる。直接被害者を出さなかった複数の世帯が事件後に貝尾を離れているほか、過疎化が進行しており、廃墟となっている家屋もある。事件当時から貝尾に居住している者はすでに一人もいないという。
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 +===== 70年後の証言 =====
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 +事件発生から70年後にあたる2008年(平成20年)、『週刊朝日』5月13日号にて津山事件関係者による証言記事(記者:小宮山明希)が掲載された。その記事内で匿名でのインタビューに応じた90代の老人によると、都井は村が停電になった時によく修理を頼まれていた。また、事件が発生したその日のうちに「昭和の鬼熊事件」と題した号外が出たと述べている。当時村に残っていたとされている夜這いの風習については否定している。
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 +なお、この証言については司法省刑事局による「津山事件報告書」と食い違う部分がある。
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津山事件.1638043210.txt.gz · 最終更新: 2021/11/28 05:00 by moepapa