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十和利山熊襲撃事件


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十和利山熊襲撃事件 [2024/11/05 20:49]
moepapa
十和利山熊襲撃事件 [2025/01/06 20:00] (現在)
moepapa
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 他の獣害被害が1番目、2番目の事件は、それぞれ大正時代で、夜は明かりも微妙、逃げ込むにも家は木造平屋が多かった、という状況でしたが、本件だけはそのような時代に起きた事件でなく、 他の獣害被害が1番目、2番目の事件は、それぞれ大正時代で、夜は明かりも微妙、逃げ込むにも家は木造平屋が多かった、という状況でしたが、本件だけはそのような時代に起きた事件でなく、
 この文明も高度に発達した平成になってから起きた事件というのが衝撃的です。 この文明も高度に発達した平成になってから起きた事件というのが衝撃的です。
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 +文明の発達で、逆に危険に対して鈍くなってしまっていたのと、日本がある程度平和だということで、武器なり、危険への備えなりが不足してしまっていたのがここまで被害を広げてしまった原因かもしれませんね。
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 +警察だなんだなんて、事件が起きてから調査や解決をしてくれるだけで、被害を受けた時点では役に立ちませんから、やはり、まず自営で、武器や、戦う気構えの準備は常に必要ということですね。
  
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行 23: 行 27:
  
 また同じ日には、60歳代の女性が夫とタケノコ採りをしていたところ、突然現れたツキノワグマに腕を噛まれたうえ、爪傷を受けた。夫が咄嗟に頭を殴るなどして反撃したところ、熊は逃走した。事件を受けた警察は、出没地点に注意を呼びかける看板を設置した。 また同じ日には、60歳代の女性が夫とタケノコ採りをしていたところ、突然現れたツキノワグマに腕を噛まれたうえ、爪傷を受けた。夫が咄嗟に頭を殴るなどして反撃したところ、熊は逃走した。事件を受けた警察は、出没地点に注意を呼びかける看板を設置した。
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 +<color #22b14c>この時点で山狩りなどをせずに注意看板だけて、どんだけのんきなんでしょう・・・。
 +平成の危機意識ってこんなもんでしたっけ??</color>
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 ===== 2番目の犠牲者 ===== ===== 2番目の犠牲者 =====
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 同日には2人の女性が現場付近で一時行方不明になっており、熊に襲われたと思われたが実際には襲われておらず、無傷の状態で発見されている。 同日には2人の女性が現場付近で一時行方不明になっており、熊に襲われたと思われたが実際には襲われておらず、無傷の状態で発見されている。
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 ===== 軽傷者 ===== ===== 軽傷者 =====
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 5月25日朝から行方不明になっていた青森県十和田市の男性(65)が、30日昼ごろに死後数日と思われる遺体となって発見される。遺体は熊にかじられるなどしたと見られ、損傷が激しかった。 5月25日朝から行方不明になっていた青森県十和田市の男性(65)が、30日昼ごろに死後数日と思われる遺体となって発見される。遺体は熊にかじられるなどしたと見られ、損傷が激しかった。
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 ===== 4番目の犠牲者とクマの射殺 ===== ===== 4番目の犠牲者とクマの射殺 =====
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 6月13日にこの熊を司法解剖した結果胃から人体の一部が見つかった。翌14日には、秋田県知事の佐竹敬久が県議会予算特別委員会の総括審査で入山自粛を呼び掛けた。しかし現場は、国有林や私有林、牧草地が入り混じっているため入山制限は困難との見方を示した。 6月13日にこの熊を司法解剖した結果胃から人体の一部が見つかった。翌14日には、秋田県知事の佐竹敬久が県議会予算特別委員会の総括審査で入山自粛を呼び掛けた。しかし現場は、国有林や私有林、牧草地が入り混じっているため入山制限は困難との見方を示した。
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 ===== その後の軽傷者 ===== ===== その後の軽傷者 =====
  
 6月15日、4名が熊取平から侵入、クマに襲われ2時間対峙し1人が負傷。6月30日に大清水で男性(54)が頭部に重傷を追った。田代平からは9キロメートルほど離れており、一連の事件と関係があるかどうかは定かではないとみられていたが、のちの調査で襲ったクマは田代平で第三の犠牲者の食害に参加したクマであるとわかった。 6月15日、4名が熊取平から侵入、クマに襲われ2時間対峙し1人が負傷。6月30日に大清水で男性(54)が頭部に重傷を追った。田代平からは9キロメートルほど離れており、一連の事件と関係があるかどうかは定かではないとみられていたが、のちの調査で襲ったクマは田代平で第三の犠牲者の食害に参加したクマであるとわかった。
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 ===== 事件後の対応 ===== ===== 事件後の対応 =====
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 一連の事件における加害熊について、5月31日から6月1日まで現地で調査を行ったNPO法人日本ツキノワグマ研究所の米田一彦は事件当時、オスのツキノワグマの仕業であると断定した。また、射殺されたクマの胃の中の肉片が微量だったことから複数のクマが人を襲った可能性があるとも言われている。つまり、射殺された雌グマはたまたま現場で遺体を見つけて食害していただけで、襲ったのは別のクマであるという説である。 一連の事件における加害熊について、5月31日から6月1日まで現地で調査を行ったNPO法人日本ツキノワグマ研究所の米田一彦は事件当時、オスのツキノワグマの仕業であると断定した。また、射殺されたクマの胃の中の肉片が微量だったことから複数のクマが人を襲った可能性があるとも言われている。つまり、射殺された雌グマはたまたま現場で遺体を見つけて食害していただけで、襲ったのは別のクマであるという説である。
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 ===== 事件後の調査結果 ===== ===== 事件後の調査結果 =====
  
 米田は事件後も調査を行い、事件に関連しているクマは5頭いると結論づけた。4人の犠牲者のうち3人を襲撃したとみられている若いオスグマは「スーパーK」とよばれており、同年の9月に捕獲檻に入っているところを発見、駆除された。体重80キロ(駆除後の実測では84kg)で推定4歳だった。このクマは熊取平で最初の犠牲者を襲撃したのち、捜索隊の音を嫌って第三の現場となった田代平に移動したとみられている。第二の犠牲者を襲ったのは射殺されたメスグマとは別の大きな赤毛のメスグマで推定12歳、「スーパーK」とは親子だと推定。26日に襲われ生還した男性を襲ったのは額の横に白い傷のある80cmのオスグマであり、30日に重傷を負った男性を襲ったのは別の母子グマと考えられて、このうち子グマ2頭が9月9日に田代平で駆除された。この母クマも食害に参加していたが、駆除はされていない。6月10日に射殺されたメスグマは襲撃には参加しておらず、食害に加わっただけとみられている。直接関係しなかった西ノ森の南側を生息場とする130kgのクマは9月3日に田代平で駆除され実測値は144kgであった。 米田は事件後も調査を行い、事件に関連しているクマは5頭いると結論づけた。4人の犠牲者のうち3人を襲撃したとみられている若いオスグマは「スーパーK」とよばれており、同年の9月に捕獲檻に入っているところを発見、駆除された。体重80キロ(駆除後の実測では84kg)で推定4歳だった。このクマは熊取平で最初の犠牲者を襲撃したのち、捜索隊の音を嫌って第三の現場となった田代平に移動したとみられている。第二の犠牲者を襲ったのは射殺されたメスグマとは別の大きな赤毛のメスグマで推定12歳、「スーパーK」とは親子だと推定。26日に襲われ生還した男性を襲ったのは額の横に白い傷のある80cmのオスグマであり、30日に重傷を負った男性を襲ったのは別の母子グマと考えられて、このうち子グマ2頭が9月9日に田代平で駆除された。この母クマも食害に参加していたが、駆除はされていない。6月10日に射殺されたメスグマは襲撃には参加しておらず、食害に加わっただけとみられている。直接関係しなかった西ノ森の南側を生息場とする130kgのクマは9月3日に田代平で駆除され実測値は144kgであった。
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 ===== 事件の遠因 ===== ===== 事件の遠因 =====


十和利山熊襲撃事件.txt · 最終更新: 2025/01/06 20:00 by moepapa