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十和利山熊襲撃事件


十和利山熊襲撃事件

日本の獣害事件史上3番目の被害を出した凄惨な事件ですね。

まだロクに明かりもなかった時代に起きた事件でなく、
この文明も発達した平成になってから起きた事件というのが衝撃的です。


十和利山熊襲撃事件(とわりさん くましゅうげきじけん)とは、2016年 (平成28年) 5月から6月にかけて、秋田県鹿角市十和田大湯(とわだおおゆ)の十和利山山麓で発生した熊害。ツキノワグマがタケノコ採りや山菜採りに来ていた人を襲撃し合わせて4人が死亡、4人が重軽傷を負ったほか、5人がクマを撃退して無傷であった。日本では記録に残るものでは史上3番目の被害を出した獣害事件と言われているほか、本州においてはやはり記録に残るものでは最悪と言える獣害事件である。被害者を襲ったクマや食害したクマを複数確認しており、クマによる襲撃事件では稀なケースである。

最初の犠牲者

5月20日、鹿角市十和田大湯字熊取平の竹藪で、ネマガリダケのタケノコを採集していた地元の男性(79)が行方不明になり、翌21日午前7時ごろに遺体で発見された。遺体の顔や左半身に爪痕や噛み痕が見られた。

また同じ日には、60歳代の女性が夫とタケノコ採りをしていたところ、突然現れたツキノワグマに腕を噛まれたうえ、爪傷を受けた。夫が咄嗟に頭を殴るなどして反撃したところ、熊は逃走した。事件を受けた警察は、出没地点に注意を呼びかける看板を設置した。

2番目の犠牲者

5月22日7時30分ごろ、最初に襲撃された男性が遺体で発見された場所から北西に800メートルの地点で、秋田市の男性(78)が妻(77)とともにタケノコ採りをしていたところ熊に襲われる。その際、男性が「逃げろ」と叫んだため妻は逃げて無事だったが、男性は約6時間後の13時20分ごろ、500メートル南の場所で捜索中の鹿角署員や消防によって遺体として発見された。 遺体の側頭部や腹部に爪傷や咬み傷があった、前後して、氏名不詳の女性が熊に襲われ擦過傷を負った。

相次ぐ死亡事故を受けた東北森林管理局は、現場周辺の林道を6キロにわたり通行止めとし、林道の出入り口にはクマへの警戒を求める看板を設置した。また、周辺で注意を呼びかけるチラシ配りをするなどの対応を行った。

同日には2人の女性が現場付近で一時行方不明になっており、熊に襲われたと思われたが実際には襲われておらず、無傷の状態で発見されている。

軽傷者

5月26日朝に、田代平で青森県おいらせ町の男性(58)がクマに襲撃されたが、尖らせた笹竹でクマの顔を突いて撃退、無傷生還。

5月29日朝、十和田大湯字田代平の山林で、タケノコ採りをしていた青森県新郷村の女性 (78) が背後から熊に襲われ、臀部を噛まれて軽傷を負ったが、同行した息子がナタで撃退した。

3番目の犠牲者

5月25日朝から行方不明になっていた青森県十和田市の男性(65)が、30日昼ごろに死後数日と思われる遺体となって発見される。遺体は熊にかじられるなどしたと見られ、損傷が激しかった。

4番目の犠牲者とクマの射殺

6月10日10時40分ごろ、3日前の6月7日から行方不明になっていた十和田市の女性(74)の遺体が、秋田県鹿角市十和田大湯の山林で発見された。直後に猟友会が雌クマを射殺した。

14時ごろ、女性の遺体発見現場から10メートルほどの場所で鹿角連合猟友会の斉藤良悦(61)ら4名が、計7発の銃弾を発砲し、ツキノワグマ1頭を射殺した。斉藤はクマが従業員を殺害した秋田八幡平クマ牧場事件でも加害グマを射殺した、地元では有名な熊撃ちの名手であった。

6月13日にこの熊を司法解剖した結果胃から人体の一部が見つかった。翌14日には、秋田県知事の佐竹敬久が県議会予算特別委員会の総括審査で入山自粛を呼び掛けた。しかし現場は、国有林や私有林、牧草地が入り混じっているため入山制限は困難との見方を示した。

その後の軽傷者

6月15日、4名が熊取平から侵入、クマに襲われ2時間対峙し1人が負傷。6月30日に大清水で男性(54)が頭部に重傷を追った。田代平からは9キロメートルほど離れており、一連の事件と関係があるかどうかは定かではないとみられていたが、のちの調査で襲ったクマは田代平で第三の犠牲者の食害に参加したクマであるとわかった。

事件後の対応

事件後も熊取平や田代平へタケノコ採りの目的で分け入る者が絶えないため、警察は18日から周辺の国道104号や県道7か所に検問所を設置した。6月30日には、鹿角市役所で周辺の秋田県鹿角市と小坂町、青森県十和田市、三戸町、田子町、新郷村の代表者ら16人が出席する緊急対策会議を開いた。遭遇事故が心配される秋や来年初夏のタケノコ採りシーズンに向け、事故防止のための統一行動や情報共有、再度の会議の開催を申し合わせた。

襲ったクマについて

7月5日、日本クマネットワークの山﨑晃司・東京農業大学教授など3人と秋田県自然保護課や鹿角市の担当者、猟友会員の6人が襲撃現場を回り、現場を調査した。 

一連の事件における加害熊について、5月31日から6月1日まで現地で調査を行ったNPO法人日本ツキノワグマ研究所の米田一彦は事件当時、オスのツキノワグマの仕業であると断定した。また、射殺されたクマの胃の中の肉片が微量だったことから複数のクマが人を襲った可能性があるとも言われている。つまり、射殺された雌グマはたまたま現場で遺体を見つけて食害していただけで、襲ったのは別のクマであるという説である。

事件後の調査結果

米田は事件後も調査を行い、事件に関連しているクマは5頭いると結論づけた。4人の犠牲者のうち3人を襲撃したとみられている若いオスグマは「スーパーK」とよばれており、同年の9月に捕獲檻に入っているところを発見、駆除された。体重80キロ(駆除後の実測では84kg)で推定4歳だった。このクマは熊取平で最初の犠牲者を襲撃したのち、捜索隊の音を嫌って第三の現場となった田代平に移動したとみられている。第二の犠牲者を襲ったのは射殺されたメスグマとは別の大きな赤毛のメスグマで推定12歳、「スーパーK」とは親子だと推定。26日に襲われ生還した男性を襲ったのは額の横に白い傷のある80cmのオスグマであり、30日に重傷を負った男性を襲ったのは別の母子グマと考えられて、このうち子グマ2頭が9月9日に田代平で駆除された。この母クマも食害に参加していたが、駆除はされていない。6月10日に射殺されたメスグマは襲撃には参加しておらず、食害に加わっただけとみられている。直接関係しなかった西ノ森の南側を生息場とする130kgのクマは9月3日に田代平で駆除され実測値は144kgであった。

事件の遠因

事件があった2016年は全国的にクマの出没件数が急増している。この年の前年の2015年と2013年はクマの好物であるブナの実が豊作で、栄養をつけたクマが増え、出産頭数が増加したためと思われている。この事件の加害グマが親子であれば、ブナの実の豊作も事件に関係している可能性もあると考えられる。

この地域でクマ襲撃が多発した背景に、初夏はクマの交尾期にあたり、タケノコ食を好む。クマは食べ物がある限りその場所に居続けて食べる。またクマの好きな食べ物がある場合はそこにクマが集中する。さらに現場周辺は、戦中は軍用食糧生産、戦後も食料増産のため、国有林であるブナ帯を切り開いて開設された高原牧場であった。ブナ林を伐採するとチシマザサが繁茂するので、牧場を拡大しようとすると、その外周にある沢に沿って狭い回廊状に笹原が残り、タケノコ目当ての人とクマが集中した。これは住民の高齢化や地域格差が原因でタケノコ採取を生活の糧とする人物が元々いることや、その地域でそれ以外に収入を上げる方法がないという一面も存在する。


ほとんどの熊害、特に死亡事件はヒグマによるものが多いのに、これはツキノワグマが原因という稀なものです。

まあ、解明されたところ、一頭だけでなく、複数頭の被害が合わさったものですのでここまで被害が大きくなったようですが、

自衛隊は日々の訓練や演習の代わりにこうした山中から徹底して熊を除くことに尽力してくれたらいいのに。


十和利山熊襲撃事件.txt · 最終更新: 2021/04/05 21:43 by moepapa