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まあ詳細を知ると、ただの愚か者達による自殺志願旅にしか聞こえないんですが、
一応遭難事故と分類されるそうですね。
吾妻連峰雪山遭難事故(あづまれんぽうゆきやまそうなんじこ)とは、1994年(平成6年)2月13日早朝から翌日にかけて福島・山形両県にまたがる吾妻連峰が猛吹雪に見舞われ、登山者5名が低体温症で死亡した事故。吾妻連峰での山岳遭難事故としては最悪の事故となった。
パーティーは30代から60代の男性2人と女性5人(リーダーと男性A、女性BとCを中心に解説する)。リーダーは登山歴30年で山岳ガイド資格もある新聞社勤務の男性で、同じルートを以前に二度経験していた。またメンバー全員が登山経験を有し、特にリーダーは今回13回目の吾妻連峰登山だった。三連休を利用して山スキーで福島市の高湯より吾妻連峰を縦走し、山形県米沢市の滑川温泉に到着するルートだった。
東京駅より新幹線で出発しようとするも、速達便「やまびこ」が満席だったため各駅停車の「あおば」乗車となり、予定より30分遅れで福島駅に到着到達。
福島駅ではスキーを積むキャリアー付きタクシーが無く、急遽、マイクロバスをチャーターし、さらに30分待ち時間が発生する。ここまでのタイムロスを挽回すべく、当初の計画である吾妻高湯スキー場入口までではなく、極力、登山口の近くまでマイクロバスを走らせてほしい旨を運転手に要望。運転手は、路面凍結のためバスが登山口近くまで行けない可能性が高いので、麓の吾妻スキー場入口で降りてリフトを乗り継ぐ形による入山を勧め、スキー場入口で一度、車を停め説得もしたが、リーダーの強い要望に折れる形でバスを先に進めた。
しかし運転手の懸念通り、道路凍結が起きており、メンバーは最終的に吾妻高湯スキー場入口から1km先でマイクロバスを下車した。当初は下車地点から直接歩いて登山口へ向かおうとしたが、路面凍結で登山口到着が大幅に遅れる可能性が高いと判断。結局は当初予定の吾妻高湯スキー場入口まで徒歩で戻る形となり、さらに30分のタイムロスを発生させた。
リフトを利用して先に進もうとしたが、当時は4本あるリフトのうち2本(2本目と4本目)が強風で停止しており、メンバー7人は動いていた1本目と3本目リフトに乗り、止まっていた区間は標高差約200mの急な坂道をスキー板で1km以上歩いて登山口へ向かった。このため、7人は3本目のリフトを降りたあと4本目に乗らず直接、登山口へ向かい、結果として登山者カード提出場所となっている4本目リフト搭乗口を経由せず、登山者カード未提出で入山する形になり、後述の通り、捜索の際の登山ルート等の判明に時間を要することとなった。
このように時間のロスが発生していたが、道中にある設備の整った山小屋「慶応吾妻山荘」を通らず、当初の計画通り、緊急時の避難施設に過ぎない「家形山避難小屋」へ向かうことを優先した。しかも避難小屋に到着後、休息に入るのではなく、すぐに宴会を始め、それを22時まで続けた。
この日の夜、慶応吾妻山荘では、「中国大陸からの雨雲と寒気を伴った強い(急速に発達した)低気圧の接近により、太平洋側で大雪のおそれがある」旨がラジオの天気予報で報じられたことから、管理人は「山は間違いなく大荒れになる」と判断。宿泊客全員に、翌日は下山するか早朝に出発し、天候悪化の兆しが出たら直ちに戻るよう進言した。これを受け山荘に宿泊した全てのパーティーが翌日は下山するか、早朝に出発している。一方、家形山避難小屋のパーティー7人は誰もラジオを持っておらず、慶応吾妻山荘も素通りしたため、天気予報など翌日の天候に関する情報が一切得られなかった。