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札幌丘珠事件


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札幌丘珠事件

まだ明治も初頭の、情報共有や熊への警戒、駆除体制など、なにもかもが未熟だった状況で起きてしまった

札幌丘珠事件(さっぽろおかだまじけん)

獣害史上4番目に大きな被害を出したとされる熊害事件です。


札幌丘珠事件(さっぽろおかだまじけん)とは、1878年(明治11年)1月11日から1月18日にかけて北海道石狩国札幌郡札幌村大字丘珠村(現:札幌市東区丘珠町)で発生した、記録されたものとしては日本史上4番目に大きな被害を出した獣害事件。冬眠から理不尽な形で目を覚まされたエゾヒグマが猟師や開拓民の夫婦を襲い、死者3名、重傷者2名を出した。

事件の経緯

札幌市は2021年のピーク時に人口約198万人に達した東北以北最大の都市だが、事件当時は和人の定住者が現れてから20年あまり、市街地の整備や農地の開墾は急ピッチで進められていたものの、市域を少し出れば原始そのままの大森林や草原に覆われていた。人口は、現在の札幌市中心部にあたる「札幌区」で3,000人、後に札幌市に組み込まれることになる周辺の農村すべての人口を合計しても、8,000人に満たなかった。

仲間とはぐれたCは鳥取大学グループが残したテントに駆け込み一夜を明かしたが、27日の8時ごろにヒグマに襲われ死亡した。Cは死ぬ直前まで様子や心境をメモに書いていた。28日、十勝山岳連盟の青山義信を現場隊長とし、帯広警察署署員や十勝山岳連盟、猟友会などからなる救助隊が編成された。さらに帯広警察署は、カムイエクウチカウシ山などの日高山脈中部の入山を禁止した。翌29日、早朝から捜索していた救助隊は14時45分ごろに八の沢カールの北側ガレ場下で2人の遺体を発見した。遺体は九州から捜索に加わっていた福岡大学ワンダーフォーゲル同好会会員によってAとEであることが確認された。

29日16時半ごろ、ヒグマは八の沢カール周辺でハンター10人の一斉射撃により射殺された。亜成獣(3歳)の雌であまり大きくはなかった。30日にはCの遺体も発見された。雨天で足元が悪いことから遺体を下におろすことができず、31日17時に八の沢カールで3人の遺体は火葬にされた。八の沢カールには追悼のプレートがかけられ、そのプレートには「高山に眠れる御霊安かれと挽歌も悲し八の沢」と追悼の句が記されている。3人を殺害したヒグマは解剖されたが、体内からヒトや持ち物などは確認されなかった。このヒグマは剥製にされ、中札内村の日高山脈山岳センターに展示されている。

教訓

野生動物研究家の木村盛武は次の指摘をしている。

ヒグマがあさった荷物を取り返してはいけない。
彼らは最初にヒグマに遭遇した際、ヒグマにあさられた荷物を取り返したためヒグマから敵と看做された。ヒグマは非常に執着心が強い動物であるため、一度ヒグマの所有物になったものを取り返すのは無謀な行為である。

ヒグマに遭遇したらすぐに下山しなければいけない。
彼らはヒグマに遭遇したものの、身の危険をすぐには感じず下山しなかった。Aの母は北海道放送のインタビューで「カムイエクウチカウシ山はAが日頃から行きたがっていた山だったので、どうしても登頂したかったのかもしれない」と述べている。

ヒグマに背を向けて逃げてはいけない。
ヒグマは背を向けて逃げるものをイヌのように追いかける習性がある。たとえ敵ではないと認識していても、背を向けて逃げると本能的に追いかけるため非常に危険である。

事前にヒグマに出会ったときの対処法をチェックしておかなければならない。
彼らはヒグマにあまり詳しくなかったので間違った対処をした。

ヒグマは時間や天候に関係なく行動する。
彼らを襲った時間は朝から夜まで規則的ではなく、濃霧でも行動した。


札幌丘珠事件.1730807669.txt.gz · 最終更新: 2024/11/05 20:54 by moepapa